こんにちは。
【さとけん.com】運営者の大里憲哉です。
本記事は「大里憲哉」についての記事となります。
このブログでは主に、下記3つの情報を発信しています。
- ADHD(発達障害)に関すること
→この特性が原因で1年間休職し、様々な経験をして復帰しました。
休職中に経験したことや得た知識や体験を書いています。 - 不動産屋に関すること(賃貸お得情報やマメ知識等々)
→新卒(2011年)から不動産会社に勤務しています。
不動産業界のトレンド情報や契約・引っ越しの際のお得情報などを書いています。
2020年4月には異動になり、営業を卒業しました!広報マーケーターとして活躍しています! - 地域に関すること(勝手に北条大使と名乗っています)
→30年以上住み続けている地域に関する情報を発信します。
都内から電車で45分程度の距離にある、科学と自然のまち『つくば市』
消耗した身体を緩ませるには最適なまちです。
…その他にもライフハック(日常のお得便利情報)に関する記事も良かったら見てやってください(__)
最近の出来事はこちらにまとめてますので、良かったらご覧ください。
プロフィール
- 名前:大里 憲哉(おおさと けんや)(@さとし)
1988年11月7日に、生まれから現在に至るまで茨城県のつくば市北条で過ごし、
大学を卒業し社会人(不動産業会社員)にとなり、同じまち出身の奥さんと結婚し、
つくば市北条に住み続けている。
「自らの"偏り"を"能力"と捉え、"技術"へと変換し、自らの価値を最高に高め、社会に貢献する。」
をテーマに会社員をしながら、自分の特性を活かした活動をしています。
何不自由なく過ごした小学生時代
小学生はゲームとアニメ、外で遊び、勉強やスポーツもできて、文武両道で運動もできて成績もそこそこ良いという子供時代を過ごしました。
一番好きだったゲームはファイナルファンタジーと大乱闘スマッシュブラザーズ。
田んぼ道を自転車で爆走し、目が休まったなぁと思ったらまたゲームをして友達と遊びまくっていました。
人生に生きづらさが生じる
しかし、こんな楽しい生活でも、中学に入ると、身長がなかなか伸びず、軽い虐めにも遭うようになります。
「お前、うざいよ」とか「おい、ちび」とか、「ネズミ猿」とか言われまして、
この野郎とか思ったりもしましたが、事実だと思ってたんで言い返したりもできず、コンプレックスを持つようになってしまいました。
そして、この頃から人生に生きづらさを感じ始めます。
みんなが普通にできていることができない、逆にみんなが苦戦することが自分にはできる。
「なんか人と違うな」と感じるようになりました。
理数系科目は 楽しい! テストでもいい点数が取れる。
でも、国語社会は つまらない↓ テストでも点数が取れない
積極的に仲良くなりたいと思う友達がいる。でもなぜか仲良くできない。
消極的だが仲良くなりたいと思う友達がいる。なぜか話が合い仲良くできる。
自分のやりたい事と現実とのギャップに人間関係に強く違和感を感じました。
そんな当時、思ったことは、
僕はこのどちらにも属していない。
そもそも"友達"を2種類に分別は出来ない。皆と仲良くなりたいという想いがそもそもありました。
だから、分別すること自体が出来なかったた為、居心地が悪かった。
だから、なんか人と違うなと思うようになっていった。
そして、高校生から人と違うというコンプレックスが広がり、どんどん集団行動ができなくなっていき、
「どうして僕ばっかりうまくいかないんだろうか」
「なぜかいつも僕だけダメだな」
と人との違いをより拗らせ、変に捉えるようになっていってしまいました。
そんなことを感じてからは
人間関係や勉強が楽しいと感じず、身が入らなくなっていきます。
そんなことを感じていたので、大学は滑り止めさえも滑り、後期募集で何とかFランク大学へ入学。
「僕はこんなはずじゃないのにな、もっとやれると思うんだけどな。今の自分に満足できないな。」
いつもそんな言葉が頭の中をめぐっていました。
「学生時代って地獄だなぁー」
そう思っていました。なぜ、”地獄”と感じていたかというと
- 勉強に主体的に取り組めない。やりたいと思えない。
- 勉強をする本当の意味が自分の中に答えが無かった、だからやる気が出なかった。続かなかった。
- とりあえず親や周りに大学は出なさいと言われたので、人の敷いたレールに沿って生きてきた。
- 自分の考え、こだわりが無かった。
- 経済的自立が出来ていないので、親に守ってもらっているという感覚もあったため、自分の想いに正直に生きてみよう働いてみようという考えに至らなかったんだなぁと思う。
だから、僕にとっての新世界「社会人」というものに大きな期待と希望を持っていました。
そして、どうにか要単位ギリギリで卒業。
「この12年間の勉強地獄が終わって、やっと働ける!」
そんな風に期待に胸を膨らませていました。
7年間働いた"マクドナルド"でのアルバイト経験
少し話は戻り、16歳から22歳までの7年間
実は、
"マクドナルド408つくば大曾根店"でのアルバイト経験があります。
この店舗は当時、茨城県での売り上げ3位でとても活気に溢れていて忙しい店舗でした。
これまで、さまざまな苦労しててきた僕が、辛かったなぁ 嫌だったなぁ などと思う事がとても少なかったと感じています。
それはなぜか
人から否定的なことを言われることが少なかったからだと思います。
正直、当時の自分は今の自分に比べれば社会人的にも人間的にも未熟だったと思います。
なのにも関わらず、働くことに自信と希望を持ち、バイトとはいえ、最高ランクのタイトルを獲得し、
AJCC(オールジャパンクルーコンテスト)は関東大会にまで出場する実績を残しました。
場・物・人が整った結果、僕という人材が最適化されたのだと気づきました。
この成功体験をこれからの人生で再び自分自身に体験させたい。
この成功体験を求めている人に提供したい。共有したい。
そう思って働きたいと思うようになります。
最高の師匠と出会う
地域のまちの不動産屋へ就職が決まり、大変ながらも仕事を覚えていきます。
最初、お爺さんのような上司がいて、その人は仏のような優しいまなざしで僕を見守ってくれる人でした。
怒るときは怒るんですが、自分のことを暖かく見守ってくれる上司。
この上司がいたからこそ、僕は仕事を辞めずに学べたと思っています。
しかし、この上司は2年後に転勤。
その時に入ってきたのが、僕がたくさん学ばせてもらった40代のお姉さん上司でした。
その方は女性なのですが、天才肌で、支配的でもあり、包括的でした。
「まぁ、まずやってみなさい。」
そんな一言をまず言って、自立を促すような働き方を教えてくれる人でした。
保守ではなく、攻めるタイプ、
自ら考えて、自らもっと行動して行ける人間に育ててくれる人、
僕がどんな小さな成功でも報告すると
「あら!良かったわね!!」
と満面の笑顔でその成功を褒めて伸ばしてくれる、僕にとっての最高の師匠でした。
そして、僕のことは叱咤激励をして、僕の短所を補い、長所を伸ばしてくれたのです。
そんなことを経験しながら、6年間働きました。
40代のお姉さん上司は、僕にとって
ちょうどいいプレッシャーを与えてくれる存在でした。
僕は、強い動機が無いと行動が出来ない人間だと自覚しています。
40代のお姉さん上司は僕にプレッシャーを与えてくれるのと同時に希望を与えてくれて、興味を提供してくれました。
これらが僕を行動させたのだと思います。
この時僕が感じたことは
これからは、自分自身で強い動機を発生させ、行動に移せる人間にならないといけないと感じました。
頼りにしていた人が急にいなくなる
そんな上司のおかげもあり、高成績を納め順調に出世しました。
それはやはり上司が推薦してくれたおかげで、
「大里さんならできるわよ。頑張りなさい」
そんな言葉をもらって、28歳でチームの責任者も任されました。
上司に出世の報告をすると、
お決まりのフレーズで「あら!よかったわね!頑張りなさい!」
とやはり上司は満面の笑みで僕を激励してくれました!
しかし、この上司が急にいなくなります。
「ちょっと3日間くらい検査入院で行ってくるわ」
と言い残して去っていきました。
僕はまぁ、どうせすぐ戻ってくるだろうと思っていたのですが、中々戻ってこなかったのです。
うまくいかないのは自分のせい…
この上司がいなくなってからというものの、生きづらさ、働きにくさを感じつつも必死に努力しましたが、仕事がなかなか上手くいかなくなっていきました。
- 約束の時間や、期限を守れない
- 仕事中とてもねむい
- 頭の中に雲がかかったように、視界と思考がぼやける
- 行動しようにも、身体が重い、疲労が抜けない、ので行動ができない
- 部下が言うこと聞かない
- 自分がやろうとしていたことをすぐ忘れてしまう
- 集中して仕事ができない
- スケジュールや書類のミスが多くなった
- しゃべっている時に口を挟んで、話のコシを折ってしまう
- 後先考えずに行動し、みんなとのペースにズレが出始める
- 作業を順序立ててスムーズに進められない
- 仕事の必需品を無くしたり、忘れたりして仕事に支障が出る
- 話し始めると止まらず、自分のことばかり話してしまう
- 職場の机はいつも散らかっていて、大事な書類が大事な場面で見つからない
- いつも上の空のような印象を与えてしまい、「あの人、仕事してないんじゃね?」と思われる
仕事はこんなことばかりしていたので、残業が多くなって、家にも帰れなくなっていきました。
しかも、責任者は僕になってしまったので、相談できる人もいない…。
同時に弱点もわかりました。
僕は、緊張し過ぎたり、恐怖を感じ過ぎると、行動が鈍ってしまう事も実体験として経験しました。
そんな孤独な状態の中、深夜0時頃まで仕事をしていると、
なぜか急に気持ち悪くなってきました。
「やばい、これはなんかやばい」
トイレにいって、鼻水出る、涙が出る、口から泡吹く。
体中のすべての汁という汁が出てくるような感覚を味わい、倒れました。
約3週間、寝込んだ後、比較的ウエイトの軽いポジションへ配属してもらって復帰。
その後しばらくして、衝撃の事実が飛び込んできます。
「前の上司な、亡くなったってよ」
僕はあっけにとられて、涙も言葉も出ませんでした。
「支えてくれる人がいなくなってしまったなら、今こそ“自立”をする時だ」
上司の教えてくれた言葉を胸に、僕は今のポジションを“一人でも”精一杯やり切ることを決意します。
ADHDの特性に悩む
会社と同僚の配慮もあり、約1年間程度は持ちこたえました。
しかし、やはりうまくいかない。
体調は次第に悪くなり、一人でやるなんて決意したもんだから、周りとの協調性もとれなくなり、どんどん追い込まれていきます。
一度、倒れたこともあり、
「これは…もうダメだ。またやらかすぞ」
そう思って、再び休職。
今回は2度目ということもあり、
「もう仕事場に居場所はないんじゃないか」
「家族からなんて言われるか…」
「この先どうしよう」
そんな不安な状態の中、行った先の病院で大人の発達障害(ADHD)と診断され、自信を失い、人生に迷い、会社に行けなくなりました。
特性を活かしきる人と出会い、世界が変わる
そんな時、同じ発達障害でありながら、自身の偏りを能力ととらえ技術へ変換し活躍するやばい人に出会いました。
偏りを活かして、世に価値を提供している人
この人がやばくて、
僕は発達障害者って言うと、何かしらオドオドしていたり、自信がなくて、うつむいているような印象しかなかったんですが、
この人はまるで逆で、太陽のように燃えていて、自信が無いなんて、まるで頭に無いような人でした。
全く同じ発達障害者でありながら、イキイキと生活し、
「発達障害?え?それ才能でしょ?」
なんて言うもんだから、そんな考えの人、見たことも聞いたこともない。
僕の中で何かがはじけ飛ぶような感覚に陥りました。
僕も、
「今、自分にできる事をしっかり見つめ、出来るを最大化し、社会に最高の価値を提供したい。」
そう思えるようになり、この頃から、ネットの記事、ブログ、本、雑誌、イベント、セミナー等々、たくさんのインプットをし、たくさんの人に会いに行くようになっていきました。
自分の特性を理解する
そんな風にがむしゃらに動いていたら、いろんな人から声がかかるようになっていきます。
- 発達障害者施設の経営を立て直してみないか?
- 筑波山麓地域を盛り上げるイベント一緒にやらないか?
- どうしようもない古民家を再生して、地域の集い場にしないか?
そりゃあもう、たくさんの声をかけていただけるようになり、
「こんな僕でも役に立てることはある。いや、むしろ僕じゃなければダメなことがある」
自分には無限の行動力があり、それを活かしきることで、人には超えられない壁をいとも簡単に超えてしまう特性を持っている。
自分の特性のすごさに気づいた瞬間でした。
自己肯定感がめちゃめちゃ上がって、自分が好きになれるようになりました。
自分の特性で苦しんでいる人を救いたい!
今後、自分の夢としては
「同じように自分の特性で苦しんでいる人も、120%活かせる状態を作りたい!」
そんな夢を持つようになりました。
僕には今まで得た『不動産の知識』と『無限の行動力』があります。
いらない人はいない。
人・物・場を整え、特性を最適化する!
それができるのは僕しかいない!
そう思って現在、会社員をしながら、自分の特性を活かした活動をしています。
もし、ADHDで困っている人や、不動産で困っている人がいたら
お気軽に声かけてください!